2006年 07月 29日
MITワークショップ 前期合同ゼミの報告 |
前期最後の白雨館ゼミ。今回は前期にゼミメンバーが参加したMIT(マサチューセッツ工科大学)との京都の町家再生ワークショップと、建築・地域・ランドスケープの院生が合同で課題に取り組んだ前期合同ゼミの成果報告を行いました。
■MITワークショップ
Sensitive place
荻野目頌子、楊光炤 ほか
佐々木さんよりコメント
・伝統的な京町家二階が、祇園祭のときに仮設桟敷に変化していたことに気づいた視点は現場からの体験が生きていていい。
・この結果、二階前面をテラスにし、軒裏感覚の空間構成・ボリュームを生かした手法はよく考えられている。
・しかし、3階ファサードから上部のデザインが思考停止。分節された屋上テラスも含めて都市景観に参画させないと、やはり異質なものになってしまう。
・次のステップとして、ディテールに京都らしさのランドスケープのあり方を研究していくこと。(プロポーション、入り隅、出隅空間での自然との相互介入方法、濡れた素材感など)。
To-fu house
中松大輔、半海宏一 ほか
佐々木さんよりコメント
・新しい通り庭が奥行きを感じさせ、水の通り庭という発想はいい。
・プレゼン方法として、もっと大事な提案部分、呼吸する町家・・・を提案しているんだから、そこ(建築内部に介入する自然)をダイヤグラムだけでなく、具体的な現象空間としてきちんと表現すること。
・1階奥の庭と室内とのつなぎの部分など ディテールをもっと詰めるとよくなる。
LIFE IN FESTIVAL FESTIVAL IN LIFE
佐々木さんよりコメント
・回廊の考え方は風も吹き抜けてとても面白い、しかしファサードにその面白さが出てきていない。
・階段室は生活の共有空間、もっと生活の匂いのある縦空間の通り庭に転換できるといい。
・室内平面に、意味の見えない斜め壁は効果不明。パースペクティブの効果が出ていない。
・このような建築におけるランドスケープの役割は、出隅空間で室内がどのように外部の自然に貫入できるか、逆に入り隅空間で自然がどのように室内に貫入するか、を考えること。
■合同ゼミ
温厚チーム
半海宏一、草部知彦、荻野目頌子
佐々木さんよりコメント
・セットバック規制が厳しすぎるのでは(ルールの実現性がうすい)。
・「おくまち」には他者が入らない、共有の緑の路地という設定はおもしろい。しかし、ここは何が共有性を支えているのか?もしそこが単なるセミパブリック空間なら、ややもすると管理者不明のルーズな裏空間になってしまう可能性がある。
・このため、プライベートとパブリックの両義性が重なり合う「共有の庭」として設計することが必要。これは、公共生活が変化している今日のランドスケープデザインの重要な視点。
・庭として空間が成立するには、自己と他者の両方の眼を考えることが大事。他者の目と、自分の価値表現の眼だ。このパラドックスを受け入れることから都市に開いた空間であっても人々が親密にかかわれる庭が生まれる。
・都市の中で庭がなぜ存在するのか?という意味を考えること。
・庭は、個人の見出す価値表現を近隣住民や通行人に伝える。すると、隣人や通りすがる人は、他人のプライベートな世界に価値を見出す。これが共同体の中で成立している庭の本質的な存在と表現のあり方だ。
過激チーム
中松大輔 ほか
佐々木さんよりコメント
・ディベロッパー側にとってはとてもいい提案で、事業としては成り立つであろう。余剰空中権を使って、建蔽率60%上乗せ容積率640%とする方法で高層用地をつくり、既存町家を残す手法は、保存と開発の共存のあり方としての大胆な答えの1つかもしれない。しかし京都の景観はこれでいいのかという問いに対してはどうか・・・。
・高層建築のデザインが都市の壁とならない方法は、もう少し詰めるべきところがある。
・高層棟の足元空間のデザインがとても貧しい。街に対してもっと貢献できるオープンスペースを提供しなければならない。オープンスペースの豊かさのルールも必要である。
(報告:TA/馬河)
■MITワークショップ
Sensitive place
荻野目頌子、楊光炤 ほか
佐々木さんよりコメント
・伝統的な京町家二階が、祇園祭のときに仮設桟敷に変化していたことに気づいた視点は現場からの体験が生きていていい。
・この結果、二階前面をテラスにし、軒裏感覚の空間構成・ボリュームを生かした手法はよく考えられている。
・しかし、3階ファサードから上部のデザインが思考停止。分節された屋上テラスも含めて都市景観に参画させないと、やはり異質なものになってしまう。
・次のステップとして、ディテールに京都らしさのランドスケープのあり方を研究していくこと。(プロポーション、入り隅、出隅空間での自然との相互介入方法、濡れた素材感など)。
To-fu house
中松大輔、半海宏一 ほか
佐々木さんよりコメント
・新しい通り庭が奥行きを感じさせ、水の通り庭という発想はいい。
・プレゼン方法として、もっと大事な提案部分、呼吸する町家・・・を提案しているんだから、そこ(建築内部に介入する自然)をダイヤグラムだけでなく、具体的な現象空間としてきちんと表現すること。
・1階奥の庭と室内とのつなぎの部分など ディテールをもっと詰めるとよくなる。
LIFE IN FESTIVAL FESTIVAL IN LIFE
佐々木さんよりコメント
・回廊の考え方は風も吹き抜けてとても面白い、しかしファサードにその面白さが出てきていない。
・階段室は生活の共有空間、もっと生活の匂いのある縦空間の通り庭に転換できるといい。
・室内平面に、意味の見えない斜め壁は効果不明。パースペクティブの効果が出ていない。
・このような建築におけるランドスケープの役割は、出隅空間で室内がどのように外部の自然に貫入できるか、逆に入り隅空間で自然がどのように室内に貫入するか、を考えること。
■合同ゼミ
温厚チーム
半海宏一、草部知彦、荻野目頌子
佐々木さんよりコメント
・セットバック規制が厳しすぎるのでは(ルールの実現性がうすい)。
・「おくまち」には他者が入らない、共有の緑の路地という設定はおもしろい。しかし、ここは何が共有性を支えているのか?もしそこが単なるセミパブリック空間なら、ややもすると管理者不明のルーズな裏空間になってしまう可能性がある。
・このため、プライベートとパブリックの両義性が重なり合う「共有の庭」として設計することが必要。これは、公共生活が変化している今日のランドスケープデザインの重要な視点。
・庭として空間が成立するには、自己と他者の両方の眼を考えることが大事。他者の目と、自分の価値表現の眼だ。このパラドックスを受け入れることから都市に開いた空間であっても人々が親密にかかわれる庭が生まれる。
・都市の中で庭がなぜ存在するのか?という意味を考えること。
・庭は、個人の見出す価値表現を近隣住民や通行人に伝える。すると、隣人や通りすがる人は、他人のプライベートな世界に価値を見出す。これが共同体の中で成立している庭の本質的な存在と表現のあり方だ。
過激チーム
中松大輔 ほか
佐々木さんよりコメント
・ディベロッパー側にとってはとてもいい提案で、事業としては成り立つであろう。余剰空中権を使って、建蔽率60%上乗せ容積率640%とする方法で高層用地をつくり、既存町家を残す手法は、保存と開発の共存のあり方としての大胆な答えの1つかもしれない。しかし京都の景観はこれでいいのかという問いに対してはどうか・・・。
・高層建築のデザインが都市の壁とならない方法は、もう少し詰めるべきところがある。
・高層棟の足元空間のデザインがとても貧しい。街に対してもっと貢献できるオープンスペースを提供しなければならない。オープンスペースの豊かさのルールも必要である。
(報告:TA/馬河)
by landscape_lab2006
| 2006-07-29 21:00
| 白雨館ゼミ