2010年 02月 28日
京都造形芸大ランドスケープ卒業設計作品より |
今回の白雨館ゼミは、卒業制作展覧会の四回生ランドスケープ作品を対象に、佐々木先生からのコメントを受けながら、作品の裏に見える新しいデザイン価値の確認を行いました。
牧久美子
作品名:Border・・・・岩国米軍基地の境界を拒否から融合へ
軍事基地岩国の街に住んでいた若い学生が、基地の境界フェンスが周辺住民のゴミ捨て場に変貌している閉鎖的な日常風景を見て、素直に疑問を感じたところからこの作品が生まれたところが実にいい。
「境界」は建築内部と外部の間にあるだけでなく、所有者の表現や権力の表現、などエッジとしての物理的存在である。しかし、その表現には土地と利用形態の関係が密実に結びついたランドスケープの重要課題が潜んでいる。
牧君の作品は、アースワークによる波打つ大地の起伏を雁行させたフェンスに貫入させた<領域としての境界風景>への転換を目指したもの。
波型アースワークのストライプ形状のルールがうまく形態化され、基地内外の人々のコミュニケーションが生まれる仕掛けや、新しい空間機能の発見への姿勢が好感を持てる。キチンとした誠実な模型制作の努力もとても良い。
古川由菜
作品名:夢のサンクチュアリー・・・・・諫早湾の生態系護岸復活計画
エコロジーの機能を生かして、埋め立て干拓と潮受堤防で死滅した諫早湾の海をもう一度観光拠点に取り返そうというのが、キャッチフレーズ。エコロジーの美学をデザイン表現に組み込もうとした姿勢がよかった。一般にこのようなアプローチはリサーチで終わってしまい、デザインにまで到達できないのが多い。
この作品は、一日の水位変化を生かして、真っ赤に染まる植物のシチメンソウ、ムツゴロウ、トビハネ、カニや野鳥、サギ、フラミンゴまで生息する海岸地形を、自由なしかし一定のルールに従った地形造形で埋め尽くすアイデアだ。これは均質形態に美を求めた建築のプロポーションではなく、自然生態系が息づく生息環境から求めたエコロジカル・プロポーションといって良いかもしれない。
イアン・マックハーグは、ランドスケープの立脚点を大地の諸因子をあぶりだすものとして捉え、有機的形態の根拠を視覚芸術からランドスケープに取り戻した。この形態の空間構成原理を、時間と共に変容するエコロジーの美を受けとめる、あるいは映しこむ鏡としてとらえると諫早湾の未来にも希望の光がみえてくる。強烈なシチメンソウの赤で包まれた海岸は、韓国の漢江の入江にも見られる。この風景が日本にもあったとは驚いた。九州の海と大陸半島の海はひとつだったんだ。綿密なデータから環境特性をあぶりだした努力は場所の力を生み出している。
牧久美子
作品名:Border・・・・岩国米軍基地の境界を拒否から融合へ
軍事基地岩国の街に住んでいた若い学生が、基地の境界フェンスが周辺住民のゴミ捨て場に変貌している閉鎖的な日常風景を見て、素直に疑問を感じたところからこの作品が生まれたところが実にいい。
「境界」は建築内部と外部の間にあるだけでなく、所有者の表現や権力の表現、などエッジとしての物理的存在である。しかし、その表現には土地と利用形態の関係が密実に結びついたランドスケープの重要課題が潜んでいる。
牧君の作品は、アースワークによる波打つ大地の起伏を雁行させたフェンスに貫入させた<領域としての境界風景>への転換を目指したもの。
波型アースワークのストライプ形状のルールがうまく形態化され、基地内外の人々のコミュニケーションが生まれる仕掛けや、新しい空間機能の発見への姿勢が好感を持てる。キチンとした誠実な模型制作の努力もとても良い。
古川由菜
作品名:夢のサンクチュアリー・・・・・諫早湾の生態系護岸復活計画
この作品は、一日の水位変化を生かして、真っ赤に染まる植物のシチメンソウ、ムツゴロウ、トビハネ、カニや野鳥、サギ、フラミンゴまで生息する海岸地形を、自由なしかし一定のルールに従った地形造形で埋め尽くすアイデアだ。これは均質形態に美を求めた建築のプロポーションではなく、自然生態系が息づく生息環境から求めたエコロジカル・プロポーションといって良いかもしれない。
by landscape_lab2006
| 2010-02-28 14:23
| 白雨館ゼミ