2011年 04月 18日
4月白雨館ゼミ(その2) |
前回は、阪神大震災と比較し三陸地方の復旧復興の方向性を高台の街(三段テラス状復興都市)づくり案を佐々木が問題提起として提案しましたが、今回は、その考え方についての問題点と今後の課題についてより詳細なデータに基づいた総合討論ゼミを院生達と行いましたので、その内容を報告します。
最初に、今回急遽、参加してもらった京都造形芸大・吉武宗平講師から、三陸地方の高地移転事例と津波被害についての報告を整理する。
1.明治以来の高地移動の歴史から学ぶもの
三陸海岸では、明治・昭和の三陸津波後に岩手、宮城両県では、約100集落、8,000戸が集団または個別に高地に移転。 ⇒ しかし、大部分が低地に復帰した。その理由は、漁業の利便性、土地への愛着などが低地の魅力であった。
(下図は、独立法人防災科学研究所・自然災害室HPより)
図1.赤丸が集団移動か分散移動した町村
2.高所移転地区が受けた今回の津波被災状況
1933年(昭和6年)の災害後、三陸海岸では集落の高地移動が積極的に進められた。
下の図2.は、岩手県釜石市唐丹村本郷の全戸(101戸)の高地移動を示したもの。
この地区は、長期間現地復帰が行われなかった数少ない事例。本郷地区は1933年の津波災害で、全戸が流失・倒壊、集落人口の33%の326人が亡くなるという大被害を被った。
その後、本郷地区の住民は裏山を切り崩して海抜約25m以上の高台に団地を造成、約100戸を移転させた。今回の津波は、唐丹湾の防波堤(高さ約10m)以上に達したと見られるが、移転した家屋はほぼ無傷。一方、転入者が近年建てた低地の約50戸は津波に飲み込まれた。住民たちの中で、高台に避難し無事。犠牲者は、漁船を沖に出そうとして津波に襲われた1人だけだった、という実績からも過去の教訓が生きたことが判る。
図2.本郷および隣接地区の現在の地形図
(国土地理院1961などによる)
牛山素行・静岡大防災センター准教授は、「今回の大津波で明らかに有効だった対策は高地移転だけ、再建する集落に加え、近い将来大地震による津波被害が想定されている東海地方なども高地移転を検討したほうがいい」と話している。(2011.4/5.毎日新聞・福永方人)
図3.本郷地区の津波の浸水範囲図
青線・今回の津波到達線。 黄線・津波浸水区域。赤線・明治昭和の実績
本郷地区は被災後数十年たって、低地にも家屋が立ち並ぶようになった。
しかし、今回の津波は過去よりさらに広い範囲が甚大な被害を与え、高地移転家屋以外が被災した。高台移転が成功していることがよくわかる。
下の二つの図は、唐丹本郷地区の津波被災後3/12の航空写真に等高線を入れた国土地理院の写真。標高約25m~50mの高地移転地区が全く被害を受けていない。
図4.唐丹本郷地区の津波被災後3/12の航空写真
図5.等高線から見た被災後の本郷地区
3.高地移転の事例から学ぶもの
以上の報告を受けて、全員で討論した結果を以下に整理し、今後の復興に向けての課題を検討した。
①高台移転の効果は実績として十分理解できる。
②山の斜面を大規模切盛土して高台造成をすることは、環境破壊になるが、唐丹地区のような谷状地形を利用した小規模部分造成であれば、破壊は最小限となるのでは。
③しかし、侵食形成された谷部は生態系が豊かであるため、生態系破壊に注意すべき。
④高地移転地はいずれも面積が小さく100戸単位規模なら受け入れられるが、陸前高田市の3600戸、宮古市田老町の1668戸のような大量被災地の一括移転地の適地は少ない。分散化か大規模造成かと難題が出てくるだろう。
⑤地形を生かした小規模高台造成の場合、段差地形であるため、理想的な住環境整備が困難。
⑥引き潮の波で全滅した松並木は役立ったのか?慎重な調査が必要。
⑦高台移転を全く考えない場合。低地に、津波対策型30m以上の高層RC造住宅も考えられる。低層部に駐車場。(坂出人工地盤都市のようなものか)
この場合、標準的画一的都市ではなく、地域社会圏が生まれる街づくりが必要。
⑧新都市建設に、「祭り」のコミュニティ単位を核にした街づくりが重要ではないか。
⑨放射能汚染は人災。農地の早期土壌改良が重要。
⑩沈下農地の低地を10m盛土し、農地集約化して東京への生産緑地帯へ。
4.これからの課題
①復興に向けての課題は、人の住まいのための都市だけではなく、農林業、漁業など食糧生産基地計画に分けて個別対策を立てなければならない。
②それらの開発法規は錯綜している。このため、新しい法案を作り、既存法規の線引きや規制緩和などが必要。
③これまでの大規模一括復活ではなく、地形に応じた部分集約化を考えるべきだ。
④住民合意形成は簡単ではないが、そのために時間をかけて準備すること。今後、東北の地元とも交流しながら検討していきたい。
以上が、今回のゼミでの討論内容でした。
2011年度の白雨館ゼミ生達
最初に、今回急遽、参加してもらった京都造形芸大・吉武宗平講師から、三陸地方の高地移転事例と津波被害についての報告を整理する。
1.明治以来の高地移動の歴史から学ぶもの
三陸海岸では、明治・昭和の三陸津波後に岩手、宮城両県では、約100集落、8,000戸が集団または個別に高地に移転。 ⇒ しかし、大部分が低地に復帰した。その理由は、漁業の利便性、土地への愛着などが低地の魅力であった。
(下図は、独立法人防災科学研究所・自然災害室HPより)
図1.赤丸が集団移動か分散移動した町村
2.高所移転地区が受けた今回の津波被災状況
1933年(昭和6年)の災害後、三陸海岸では集落の高地移動が積極的に進められた。
下の図2.は、岩手県釜石市唐丹村本郷の全戸(101戸)の高地移動を示したもの。
この地区は、長期間現地復帰が行われなかった数少ない事例。本郷地区は1933年の津波災害で、全戸が流失・倒壊、集落人口の33%の326人が亡くなるという大被害を被った。
その後、本郷地区の住民は裏山を切り崩して海抜約25m以上の高台に団地を造成、約100戸を移転させた。今回の津波は、唐丹湾の防波堤(高さ約10m)以上に達したと見られるが、移転した家屋はほぼ無傷。一方、転入者が近年建てた低地の約50戸は津波に飲み込まれた。住民たちの中で、高台に避難し無事。犠牲者は、漁船を沖に出そうとして津波に襲われた1人だけだった、という実績からも過去の教訓が生きたことが判る。
図2.本郷および隣接地区の現在の地形図
(国土地理院1961などによる)
牛山素行・静岡大防災センター准教授は、「今回の大津波で明らかに有効だった対策は高地移転だけ、再建する集落に加え、近い将来大地震による津波被害が想定されている東海地方なども高地移転を検討したほうがいい」と話している。(2011.4/5.毎日新聞・福永方人)
図3.本郷地区の津波の浸水範囲図
青線・今回の津波到達線。 黄線・津波浸水区域。赤線・明治昭和の実績
本郷地区は被災後数十年たって、低地にも家屋が立ち並ぶようになった。
しかし、今回の津波は過去よりさらに広い範囲が甚大な被害を与え、高地移転家屋以外が被災した。高台移転が成功していることがよくわかる。
下の二つの図は、唐丹本郷地区の津波被災後3/12の航空写真に等高線を入れた国土地理院の写真。標高約25m~50mの高地移転地区が全く被害を受けていない。
図4.唐丹本郷地区の津波被災後3/12の航空写真
図5.等高線から見た被災後の本郷地区
3.高地移転の事例から学ぶもの
以上の報告を受けて、全員で討論した結果を以下に整理し、今後の復興に向けての課題を検討した。
①高台移転の効果は実績として十分理解できる。
②山の斜面を大規模切盛土して高台造成をすることは、環境破壊になるが、唐丹地区のような谷状地形を利用した小規模部分造成であれば、破壊は最小限となるのでは。
③しかし、侵食形成された谷部は生態系が豊かであるため、生態系破壊に注意すべき。
④高地移転地はいずれも面積が小さく100戸単位規模なら受け入れられるが、陸前高田市の3600戸、宮古市田老町の1668戸のような大量被災地の一括移転地の適地は少ない。分散化か大規模造成かと難題が出てくるだろう。
⑤地形を生かした小規模高台造成の場合、段差地形であるため、理想的な住環境整備が困難。
⑥引き潮の波で全滅した松並木は役立ったのか?慎重な調査が必要。
⑦高台移転を全く考えない場合。低地に、津波対策型30m以上の高層RC造住宅も考えられる。低層部に駐車場。(坂出人工地盤都市のようなものか)
この場合、標準的画一的都市ではなく、地域社会圏が生まれる街づくりが必要。
⑧新都市建設に、「祭り」のコミュニティ単位を核にした街づくりが重要ではないか。
⑨放射能汚染は人災。農地の早期土壌改良が重要。
⑩沈下農地の低地を10m盛土し、農地集約化して東京への生産緑地帯へ。
4.これからの課題
①復興に向けての課題は、人の住まいのための都市だけではなく、農林業、漁業など食糧生産基地計画に分けて個別対策を立てなければならない。
②それらの開発法規は錯綜している。このため、新しい法案を作り、既存法規の線引きや規制緩和などが必要。
③これまでの大規模一括復活ではなく、地形に応じた部分集約化を考えるべきだ。
④住民合意形成は簡単ではないが、そのために時間をかけて準備すること。今後、東北の地元とも交流しながら検討していきたい。
以上が、今回のゼミでの討論内容でした。
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by landscape_lab2006
| 2011-04-18 11:04
| 白雨館ゼミ